新宿韋駄天尊
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大きな通りから見えるので、お堂があるのは知っていました。
前回書いた「銀世界稲荷神社」を調べるうちに、あのお堂が「韋駄天尊」だと知ったのです。
ランニングを日課とする私は絶対に行かなくてはならないと思い、行ってきました。

◆「韋駄天尊」の歴史(公式のホームページより)
~江戸中期の作とされ、上州館林の城主秋元但馬守礼朝公の守護神且つ戦神として当初江戸浅草に祭祀され、明治四年同公の下屋敷たる当地に遷座されました。その後広く信仰を集め参詣する人が増えたため、大正八年独立仏堂となるも大東亜戦争末の空襲により昭和二十年四月仏堂は消失破壊されました。~

(お堂の中の正面に祀られていますが、飾り物でよく見ることが出来ません。この写真はホームページからです。)
~戦後の混乱も漸く治まりつつあった昭和三十年頃地元に復興の機運が高まり現在の板碑が復元されました。板碑は宮原柳遷画伯の揮毫により、名工草野氏が仙台石に彫刻し、 堂宇は大工頭領平田七五郎氏により総桧造りをもって再建されました。
以来三十年の星霜を経て、当地が東京新都心として超高層ビルが林立し始めた昭和六十一年に周辺環境に相応しく、 また当地の守護神として末永く御加護賜らんことを祈念申し上げ、現在の堂宇を建立しました。~
◆韋駄天とは
~古代インド神話の神であり、仏教においては南方増長天八大将軍の一官として三十二将の主位に置かれています。インドの伝説によれば釈迦牟尼世尊の入滅後、 仏舎利を奪った疾足鬼に対し、韋駄天尊は特有の脚力をもって追い、雲を踏み、霧を破って瞬時に奪還したとあります。このことから足の速い様を韋駄天の如しといい、 その走力を韋駄天走りと称するに至ったと云われています。~
~韋駄天尊は勇猛迅速の謂を以て、古来諸大名の間では守護神又は戦神として祭祀され、世の信仰者からは勝負事の神、若しくは足の神として尊崇されており、 殊に腰部より足先にかけての疾患等はその信心により癒されるとされています。~
お堂に向かって左側にある像は、野村専太郎・ます夫妻像で、野村専太郎氏は新宿を地盤とする実業家、政治家で、ワシントンホテルの経営に関わり、このお堂を再建した人です。

お堂の右側にあるのは、 「蛯子稲荷大明神(うばこいなりだいみょうじん)」で、商売繁盛の神として韋駄天尊と共に当地に遷座されたとのことです。
ランニングを日課とし、事業をしている私にとって、これから頻繁にお参りしたいと思います。
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